次にブログの記事を書くのは、今回の出張の話かなと思っていたのですが、アイスランド出張中に川西さんの訃報を聞くことになりました。最初、間違いであってほしいと思いましたが、正式な経路からの連絡を少ししたら頂きました。

残念ながら葬儀には参列できないスケジュールになってしまい、最後のあいさつもできず只々悲しさでいっぱいになっています。

挨拶ができないので、この場を借りて川西さんとの思い出と追悼メッセージを、残させていただきます。


川西さんは、私にとっては先輩で、元同僚で、そして友達でした。思えば 2000 年にマイクロソフトに入社した時に、同じ部署ではなかったのですが、隣の部署で同じ列で仕事をしていたところから話をすることになりました。当時は私もまだ入社して間もないころ、川西さんは仕事をバリバリとこなしていました。ずっと机には「Softimage」のグッズがあって、実際に会社が買収されたあともそのまま残った、というのも少し後に聞きました。

当時、海外出張とかでは SIGGRAPH とかマイクロソフトの中でも少し違う業界に行っているなぁと思っていたのですが、質問をすると「海外まで行くのに面白くない出張はしたくない」とどーんと言ってました。自分が行って身になる出張を選んで行く、という中々普通の人にはできない、でもだからこそいい仕事ができるんだ!という話をしてました。出張から帰ってきたときには、まだ駆け出しの頃は何が何だかわからないけど面白かった技術・製品に関する話を聞かせてもらっていたのを覚えています。

その後、私の仕事の内容が変わり一緒に仕事をする機会ができました。部署も変わりましたが、 microsoft.com/japan を担当することになります。川西さんが情報を発信するための場所として microsoft.com を活用してもらうのが私の仕事となり、共に仕事をすることが増えていきます。私の担当している範囲は一時期非常に広かったのですが、事前にスケジュールを確認して準備を完璧にする川西さんに応えるためには、スタッフに任せるのではなく私自身がしっかりとやる、数少ない「自分でやるサイト」として一緒に仕事をしました。

まぁ、そうすることでまた色々と楽しい話をしながら、かつ今後の方向性に関してまでいろいろと話をしてくれるのです。勿体ないのです、誰かにやってもらうことが。当時、MSDN のサイトを中村さんが担当をしていて、技術情報は MSDN で展開していました。当時の記事は、http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/dd188512.aspxhttp://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/dd188514.aspx とまだ残っていますね。仕事をきちんとやれば「ありがとう、助かったよ」とコメントも毎回頂ける、非常にやりがいのある仕事でした。

その後、川西さんが違う部署に異動をしてからは、しばらくは一緒に仕事をする機会は無くなりました。

とはいえ、次に一緒に仕事をする縁ができました。私が異動をして MVP プログラム担当になったのです。MVPプログラムはサポート部門がオーナーを持っているのですが、アワードを取っている人は Developer / IT Pro / IW の方がほとんど、ということもあり DPE の人たちの近くで仕事をすることに私はなりました。

今度は私が川西さんにいろいろとお願いをする番になります。MVP が集まるイベントで

もうなんだか理解できない内容でもいいので、すごく濃いセッションをお願いします!!

という難題をお願いしたり、

TechEdのMVPラウンジに遊びに来てくださいね!

と無理やりお願いしたり、コミュニティとのつながりを持ってもらうというものでした。

忙しいにもかかわらず、以前一緒に仕事をしていたということもあり、必ず調整をしてサポートをして頂きました。終わった後には、こちらからお願いしているにも関わらず「原水さん、ありがとう、楽しかったよ!」と言ってくれた時は、私が言わないといけないのにと思うことも。

この頃からお昼に一緒にお弁当を食べる機会が増えました。以前はお昼を安定した時間に食べれなかったのですが、それではいけないとお昼にきちんと食べるようにと思っていたら、初台のキッチンエリアにいつも川西さんがいました。一番右端が指定席で、12時になると陣取ってお昼です。私はお弁当を作っていった日、もしくは買ってきた日はその横に座って、時事ネタなども含めていろいろと話をしました。

  • 野球の話(川西さんは中日ファン、私は阪神ファン)
  • 川西さんの生活について(新幹線通勤、マキストーブ、マキ割り)
  • 今日のお弁当(家で弁当が無かったら駅弁を食べるのが楽しみとか)
  • お子さんの話(子供の行く大学は、食べ物がおいしいところがいい!なぜなら、たまに遊びに行くから!と)
  • 最新技術の話、ガジェットの話

私がお邪魔して一緒にお昼を食べる、という形でした。こうして、最初は先輩という感じでしたが、同僚から少しづつ友達のように会社で話をする機会が増えていきました。そしてたまに飲む機会があれば、いろいろとつまらない話も含めてしてました。

お昼以外でも、初台で仕事をしているころは、私はいろいろな人と話をするためにフロアーを徘徊する時間を作りながら仕事をしていたのですが、川西さんの席には仕事以外のネタでもちょっと寄ったりしていました。実は目的の人が居なくて、戻ってくるまでの時間調整のつもりが、すっかり話が盛り上がってもともと目的の人のところに行くのも忘れることも。逆に、川西さんがたまに少し時間ができたら私の席まで遊びにたまに来てくれました。

そして今度は私が会社を辞めることになります。社内の関係者に連絡をする前に、個人的につながりのあった人にはこそっと数人話をしました。川西さんにも弁当を食べながら「実は。。。」とお話をしました。その時に言われたのは、「中村さんも居なくなって、原水さんも居なくなるって、なんかさみしいねぇ」という言葉でした。そう、最初の頃から一緒に仕事をしていた、その頃を知っている数少ない同僚でもあったわけです。

とはいえその後、「まぁ、原水さんにはどこかでまた会うような気もするんだけど、さみしくなるねー」とも言われました。送別会にも来てくれて、帰りが早いのはお約束という感じではありましたが、また会える気がするというのもありました。

私が転職をしてしばらくは MS のイベントも参加する時間はなかったのですが、今年の 11 月に北陸のコミュニティイベントで久しぶりに会いました。その時のブログ記事はこちら(私じゃないです、書いてるのは)。

http://snow-white.cocolog-nifty.com/first/2011/11/hokurikunet-vol.html

この時も「原水さん、来年の阪神はどうなの?」とか、いつもと変わらぬ話をしました。また、以前は「mixi とか twitter とかそういうのはやらない」と言ってたのですが、facebook を初めてくれたので、連絡も付きやすくなりました。「また今度、東京で飲みましょう!」という話も懇親会でしました。

その翌日、前日の鱒の鮨食べ比べで一番おいしかったと評価の高かった鱒の鮨を買いに行って駅に到着した川西さんとばったり会いました。その時に「食べ比べしておいしかったんだから、予約してでも買わないとね!」と言っていたので、さすが川西さん、もっとも!とその辺で売っているものでいいと思った自分は反省したものです。


また今度飲みにでも。。。これはもう叶わない約束となってしまいました。まさか訃報を聞くいことになるなんて想像もしていませんでした。私が会社を辞めるときに「さみしくなるねー」と言われた言葉が、今すごく響いています。また会うような気がしていたのに、もう会うことができなくなりました。マキ割り大変とか、野球の話とか、おいしい食べ物の話とか、できなくなりました。悲しく辛いです。

思い出は大切に心の中に残り続けます。卓越した尊敬できる先輩像は、真似はできませんが目指すべきものとして。多くの人が、影響を受けていることでしょう。そして最後に、たくさん仕事で言われていた言葉を改めて返したいと思います。

ありがとう、川西さん

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