ここ最近のニュース報道とかを見ていて感じることがあったので、この機会にちょっと書いておきます。

まず、鳥インフルエンザの件で自殺したというのがありました。この件は非常に残念だったと思います。事件の最初は、苦し紛れでなんとかごまかせるというところから始まったのかもしれません。しかしながら、このような結果になる必要はなかったのではないかという気がしてなりません。

人は過ちを犯してしまうことはどうしてもあると思います。たとえば、何か仕事でミスをしてもそれをカバーするために努力をすれば償うことができることも多くあります。すぐできなくても、時間をかけて名誉は回復するチャンスはいずれ出てくるのではないでしょうか。

そのような機会を、どうも今回のニュースとかの報道は奪い取るものがあったのではないでしょうか?確かにいろいろ言い訳をしていたこともあったかもしれませんが、今回の件で気を悪くした人は多くいるかもしれませんが、実害として体調を崩した人とか出ているのかどうか、その点はまったく論点にあがっていません。

という疑問があったところに、関西であった中学生による殺人事件の犯人が、仮出所で出てくるというニュースが出てきました。多くの人にとっては脅威に感じるのかもしれませんが、私はそういう風にはあまり感じませんでした。隣に住んでも迷惑さえかけることなくまじめに人生をやり直そうと思っているのであれば、それでいいと思います。

確かに被害者の方にはそういう気持ちを持つのは難しいと思います。ただ、償う努力をしようとしている人を否定する、無理ではないかという形で報道をすることは、残念なことのような気がしてなりません。

さだまさしの歌に「償い」という曲があります。この曲は、交通事故で過ちを起こしてしまったということでそれを償うという曲になっています。まじめに償おうとしている人、これから償おうとしている人、そういう人を支えてあげるような周りの人が増える必要があるのではないかな。そんな気がしてなりませんでした。

駅で毎週のように見るよっぱらいの喧嘩の方が危ないです。

最後に、マーティーキーナートさんのジャーナルを読んでの話で締めて。私はスポーツが好きなので毎週欠かさず連載を読んでいます。極論もあったりそうなのかな?と思うことはあるのですが、いいことがたくさん載っています。その記事でも先週の「あなたのできること」というのがあります。この記事であるスペシャルオリンピックって知っていますか?記事はぜひ読んでみてください。

記事の中である最後の言葉が印象的でした。この言葉は、元はソニーの創始者である盛田さんのものでした。このぐらいの引用なら許してもらえるかな?

「最近は恐ろしい犯罪や悲劇のニュースがあふれていて、親が子供を殺すとか、子供が親を殺すという悲しい事件も多い。でも、そのような事件を起こす人のなかに、スペシャルオリンピックスに参加する人々、つまり”知的発達障害者”と呼ばれる人々はいない。自分の親や子供を殺すという異常な人こそ、(心に)障害のある人ではないだろうか」

さて、私はどういう人なんでしょうか?何か間違いをしても償うことに努力をすることができるのか。それともそのプレッシャーに負けて安易な結論を導いてしまうことになるのかもしれません。それはそのときになってみないとわかりません。ただ、いろいろな人と楽しい時間を過ごせる努力はしていきたいですね。

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